ことばブログ

吃音を中心に、「ことば」について心理言語学や認知神経科学の立場からいろいろなことを考えています。

最近の吃音界隈に思うこと -吃音と不安-

久しぶりの『最近の〜』シリーズは吃音と不安について。

 

ここ数年、成人の吃音臨床においては「不安」というワードが外せなくなってきている。

 

成人吃音への介入法はかつては主に流暢性形成法という、いわゆる軟起声発声を身に付けることで筋緊張の強い発話方略を修正するというものや、吃音緩和法という、ブロックではなく繰り返しにすることで楽にどもることを目指した方法など、発話に焦点を当てたものが主流であった。

 

 

しかしCALMSモデルをベースとした考え方の普及により吃音の問題は発話だけではなく多面的であるという観点から、発話以外への要因へのアプローチも含む統合的アプローチが行われるようになった。

 

そしてここ2,3年は中でも「不安」がクローズアップされ、認知行動療法(CBT)をはじめとした吃音者の不安に対するアプローチが盛んに行われるようになってきている。

 

成人吃音者の多くが社交不安障害を併発するという報告も多く、成人吃音の問題を語る上で「不安」は欠かせないものと言えるだろう。

 

私が学部生だった頃の吃音の講義で、成人吃音の問題のは発話の非流暢性と同程度に「不安」であり、CBTが必要だ、という話があり、講義の後に強く抗議した覚えがある。私自身は吃音の頻度だけで見たら中等度以上であり、かなりどもる。恐らく当時の方が今よりも酷かっただろう。

 

そんな私には、「不安」が吃音の問題だと言われても到底受け入れられなかったのかもしれない。

 

しかしながら実際に臨床を始めてみると、成人の場合診察室ではほとんどどもらない方が大半であり、その一方で検査上で発話への不安や社交不安の傾向が高い方が非常に多いことに驚かされた。

 

もちろん診察室ではどもらいないが日常生活ではどもるという方も少なくないことは承知しているし、言い換えを駆使している方も多いこともわかっている。

 

ただそれを踏まえても、自分が抱いていたイメージ以上に「不安」が問題の中核であるケースが多い。

 

例えばよくあるケースで、どもるのが怖くて「お店で○○が注文できない」とか「お店の予約の電話ができない」といった相談がある。これはかつて自分も経験したことがあるのでよくわかるが、この問題の本質は「どもること」ではなくて目的の達成ができないことであること、そしてそれが「どもることへの不安」や「どもることへの抵抗」によるものであることが重要である。

 

これはどういうことかというと、本人が困っているのは「注文ができないこと」や「予約ができないこと」であり「どもること」ではない。

 

もちろん本人からすればどもるからできないんだ!となるだろうが、客観的に見ればこれは正しくないケースがほとんどである。中にはブロックが1分近く続いてしまい、その症状のせいで「○○ができない」状況になっている人もいるだろうが、大半は「怖くてできない」が正解である。どもってでも注文や予約ができれば目的は達成されるわけで、不利益は生じない。

 

どもることへの不安や抵抗によりその場面を回避してしまい、その結果生活上での不利益を被っているわけである。

 

この悪循環から抜け出すためにはカウンセリングと行動実験によって「どもること」に対する認知の修正と「回避」という行動の修正を行っていく必要があり、その意味でCBTは吃音に有効とされているのだろう。

実際、吃音外来やオンライン吃音相談でも同様の手法で対応しているケースがほとんどであり、当人の実感としても検査上でも不安と回避は明らかに減少している方が大半である。

 

ただし、不安だけ解消されればそれでOKなのかというと、個人的にはNOだと思う。

特に吃音の頻度が中等度以上の場合、いくら不安がなくなっても日常生活での障壁はかなり残ってしまうだろう。

 

何より、CBT的アプローチでは吃音そのものの頻度は大して変わらない場合が多い。

したがって、客観的にみてその人の問題が 不安>どもること である場合はCBT的アプローチが有効であろうが、不安<どもること である場合は一筋縄にはいかない。

 

CBTという元々エビデンスレベルの高い主義であることや、吃音でもその効果を示す報告が多いことから最近の吃音臨床は発話症状以外に焦点を当てすぎている気がする。

 

かつ元々体系的にCBTを学んでいない医師やSTが実施するのも厳密言えばグレーなようにも思う。

 

一方で臨床では確かにCBTが有効なケースが多いし、なぜCBTが有効なのか、どのような症例には有効なのか、という点についてエビデンスレベルを高めて行く必要はもちろんあるものの、効果がある以上は有効な手段の一つとして取り入れていかざるを得ないのが現状ではないだろうか。

 

個人的にはCBTの中に行動療法としての発話訓練を取り入れたアプローチがいいと思っているので、今やらないといけない諸々の課題が片付いたら、臨床研究のテーマにしていきたいと思う。

 

次回の『最近の〜』シリーズのテーマに関係するのだが、自分は1つの介入方法に拘ることはなく、あくまで中立の立場で様々な選択肢を提供できる支援者でありたいと思っているので、発話も認知も含めたアプローチを取るようにしていきたい。