ことばブログ

吃音を中心に、「ことば」について心理言語学や認知神経科学の立場からいろいろなことを考えています。

吃音のある人がSTになるということ

珍しく2日続けての更新。

非常勤先では大抵自身も吃音があることを伝えているが(Dr.が初診時に言ってしまうことが多い)、これが割とプレッシャーだったりする。

臨床の際には最大限自分の発話をコントロールして極力症状が出ないようにしているが(普段の2割程度までに)、無論ゼロにはできていない。特に話すことが多い日は疲れとともに非流暢性が明らかに増してしまう(患者さんの方が流暢に話されていることも少なくない・・・)。特に臨床上で不都合が生じている訳ではないが、受診されている当事者の方や保護者の方はST自身に吃音があることに対してどう感じているのだろうと不安に思うことはある。

 

 

幸いな事にそれについて今まで指摘されたことはないし、機能性構音障害の訓練については他院を進めた際にも「先生にお願いしたです」と言っていただけることもあり、吃音のせいでSTとしての業務に支障をきたしていることは恐らく今のところはない。しかし、特に吃音の「完治」を望んで来られる方やその保護者の方からすると、自分の存在は「吃音は治らない」ということが暗に示されてしまう存在なのかもしれない。もちろんそれが現実なので仕方がないが、なんだか自分の中ではモヤモヤしてしまっている。それを踏まえて自分が臨床上で気をつけていること、行っていることは

①極力発話をコントロールする

②普段はもっとどもるが、訓練を受け発話をコントロールすることでこのくらいは

 流暢に話せるようになっていることを伝える

③完治が望める年齢のお子さんについては、自分のように必ずしも生涯残る訳ではないと伝える

の3つである。吃音の相談に来る方にとってSTが吃音者であるということはどう映るのか、僕が思うに

・吃音があってもSTという職に付ける=社会生活を送ることができるということを示してくれている

・同じ悩みを共有できる

・吃音の専門家である

・専門家でも治っていない=自身の吃音も治らない

・治せていない人に訓練ができるのか?

 

など、ポジティブな面もネガティブな面もあると思う。どちらを優位にしてSTとして職務を全うできるかはその人次第だが、少なくともそれ相応の努力と覚悟が必要であることは間違いないのではないか?

 

吃音のあるSTは少なくなく、これからSTを目指す、目指している、という人の存在もよく耳にする。養成校に通いSTとなり、そして吃音を専門にしている身からすると、

「吃音に興味があるからSTになる」という考えの人には、STになることをオススメしない。この辺のことは明日詳しく書こうと思う。

 

いつになくまとまりのない内容になってしまったが

 

・吃音のあるSTという立場に葛藤がある

・臨床上大きな支障はきたしていないが、苦労は絶えない

・STに吃音があることは吃音臨床上プラス要素にもマイナス要素にもなる

・吃音のあるひとがSTになるにはそれなりの覚悟が必要

 ※あまりオススメはしない

 

というところだろうか。