ことばブログ

吃音を中心に、「ことば」について心理言語学や認知神経科学の立場からいろいろなことを考えています。

吃音臨床について思うこと。その2

前回に引き続き、吃音臨床について思うことを少し。

前回は小児・成人の吃音臨床について自分が実際に取り組んでいることを書いたが、今回はもう少し一般的なことに触れようと思う。

 

前回も書いた通り、小児と成人では介入のゴールが違って

小児:吃音症状の消失

成人:吃音症状の軽減 QOLの向上

であると考えている。

 

 

小児については発症した吃音児の8割前後が自然治癒するといわれているので、どこまでが介入効果と言えるかは難しいところだけども、発症後2年以内に介入することで、症状の消失率が上がるといわれている。小児の場合はほとんど直接的な介入(言語訓練)を行わないので、自然治癒を促進するという解釈でもいいのかもしれない。

言語障害の予後は一般的に女性の方が良いとされていて、吃音の場合も発症時は男女比に差がないものの成人期以降は3:1で男性が多いようなので、女児の方が男児よりも自然治癒率が高いと解釈していいのかも。

 

成人の場合は基本的に自然治癒はもちろん、言語訓練を行っても症状の消失は難しいので、症状の軽減、特に日常生活でとりわけ支障をきたしている要因をクリアにして、QOLを上げることが目標になる。個人的にはこの目標が高いほど介入が難しくなると思っている。

臨床ではまず「根治はほぼ望めない」こと、あくまで症状の軽減を目指すということをよく説明し、その上で直接的な介入を行っているが、訓練を受ける側の「ハードル」が高ければ高いほど当然ながら治療への満足度は低く、満足度が低いと訓練への意欲が下がり、結果として「訓練は意味がなかった」という感想を抱かれてしまうことにつながる。僕自身は学部生時代に2年ほどSTの訓練(主に軟起声)を受け、ある程度は自分の発話をコントロールできるようになった。それでも普段は誰がみてもわかるくらいどもるし、自己紹介や電話は苦手である。それでも自身は訓練を受けた意味はあったと思っているし、成功体験を積む中で「多少どもってもなんとかこなせればいい」という考え方になれたので、訓練によって吃音は大幅によくなったと感じてる。吃音の症状を「発話の流暢性」だけに絞って考えると訓練効果はそこまで大きなものではないかもしれないが、中高生時代は発表や自己紹介などを避けて(ズル休みもよくした)いた自分が、毎週ゼミで60分以上プレゼンをしたり、塾で集団授業をしたり、学会発表をしたりするようになったという「行動や態度の変化」も吃音の症状の変化ととらえれば、その変化はとても大きなものである。

僕自身は後者の考え方なので介入のゴール設定は「流暢な発話の獲得」だけに重きを置くことはしないし、訓練を受ける側も同じ考えを持ってもらうことができれば、それなりの訓練効果を感じてもらえるとは思う。

よくツイッターで「お店で注文ができない」「電話を受けることができない」「バイトの面接が・・・」などの悩みや愚痴を見かけるが、個人的にはこのような悩みの多くは適切な介入でかなり解消できると思っている。

 

吃音症状が0にならないようでは訓練に意味はない、という考えの人も少なからずいるが、よく考えてほしいのは、吃音は発話の機能障害であり、病気ではない、ということだ。吃音が障害であるという考え方には様々な意見があることは重々承知しているが、研究をしている立場から、吃音は発話に関する脳の機能障害であると僕は思っている(詳しくは別の機会に)。

昔、WHOが、「国際障害分類:ICIDH」というものを定めており(現在は国際生活機能分類ICF)そこでは障害を以下のように説明している。

 

(1)impairment(機能障害)
例: 目という機能に障害があること
   ↓
(2)disability(能力障害)
 例:目が見えないために墨字を読むという能力に障害があること墨字(インクで書かれた文字)を読めないこと。
   ↓
(3)handicap(社会的不利)
例:字で書かれた情報を得られないために社会的な不利を得がちだということ

 

これを吃音に当てはめると

・脳の発話関連領野に異常がある:impairment

・流暢に話すことができない:disability

・流暢に話せないために、学業や仕事、その他社会生活上で不利益を被っている:handicap

となるのではないか。

 

そう考えると、吃音により流暢に話せないことがhandicapになっていない人にとってはその意味では吃音は障害ではないのかもしれない。しかし吃音がimpairment / disability であることは事実であり、そういった意味で吃音は障害であると考えている。

話が少し逸れてしまったが、吃音を障害と考えた場合、そもそも治療に対して根治を求める方がやや無理があるのではないか。そして根治できないのだから訓練に意味はないとするのもおかしいのではないか。

STが扱う障害にはざっくり「構音障害」「発達障害」「失語・高次脳機能障害」「嚥下障害」があるが、このなかで訓練により根治が見込めるものはほとんどない。特に「発達障害」「失語・高次脳機能障害」については「できることを増やす」「できないことを減らす」ことが訓練目標であり、完治しないからと言って訓練は無意味であるなどと言われることはない。なのに吃音についてはこの考え方があまり浸透してない気がする。この現状についてはST等にも一端の責任はあると思う。最近は減っているようだが、吃音のある人が相談に行っても「原因がわからないから治療は無理」「吃音に対してできることはない」「自然によくなる」等々の対応を受ける場合が少なからずあるようである。この背景には「原因が不明」「治療理論が未確立」といった要因があるのだろうが、では、STが扱うほかの領域は「原因が明らか」であり「治療理論が確立されている」のだろうか。決してそんなことはないと思う。特に発達障害については、脳の構造および機能に何らかの異常があることや関連遺伝子の存在は示されているが(吃音も同じ)、その詳細についてはいまだ研究段階であるものが多い。しかし発達障害を扱うSTは多く、「原因がわからないから」という理由で手を引くSTはいないはずである。また、ある程度体系化された訓練法はあるものの、エビデンスレベルが高いものばかりではなく、完治を目標にしたものではない(むしろ療育と呼ばれるものが多い)。これも吃音が置かれている状況と同じである。

吃音の訓練効果に関するエビデンスは世界的にみても不十分であり、特に日本はかなり不足している。この理由の1つに、吃音臨床に携わる専門家の不足があると思う。高いエビデンスを示すにはそれだけのデータが必要であり、治療効果のエビデンスを示すにはかなりの数のn数が不可欠である。それには当然多くの臨床家が必要であるが、

 

エビデンスの高い治療法がない

       ↓

吃音臨床はやらない

       ↓

治療効果を示すデータが集まらない

       ↓

エビデンスを示せない

 

という負のスパイラルにいるのが現状ではないだろうか。

 

よくネット上で「この方法でみんな治りました」的な触れ込みを見かけるが、この

「みんな」というのはせいぜい数人~数十人規模であろうし、これでは到底エビデンスレベルが高いとは言えない。吃音にはさまざまな民間療法があり、詐欺まがいのものも含めて特に

ネット上には溢れているが、是非この点には留意してほしい。1人の当事者としては民間療法に興味はあるし、やってみたい気持ちもわかる。本人が納得して取り組んでそれでよくなれば

問題はないだろう。しかし、吃音はそう単純なものではなく、あくまでも個人的な見解だが、全ての吃音者に共通して効果のある治療法は存在しないと思う(吃音にも症状面・神経学的側面についていろいろなタイプがいる)。

吃音の原因究明はまだまだ時間がかかりそうなので、まず言語臨床に携わる人はは「症状の軽減」を目的としたエビデンスレベルの高い介入法を確立する必要があり、それには多くのマンパワーが必要である。一当事者としても多くのSTに吃音臨床に携わってほしい。

 

内容に一貫性がなくなってしまったが、まとめると

・小児(発症2年以内)の吃音は治癒の可能性があるため少しでも早く専門機関へ

・成人の吃音は完治は見込めず、介入目標は症状の軽減とQOLの向上

・特定場面の克服やブロックの緩和等は可能

・完治が見込めない=訓練に意味がないはおかしい

・吃音はimpairment / disabilityであると考えると、訓練に対する当事者・治療者のハードルは下がる

エビデンスレベルの高い介入法を確立するためにはもっとマンパワーが必要

 

ということ。

 

自分は言語科学・認知神経科学の立場から吃音を研究しており、そのうえで吃音は障害であると考えている。次回はその根拠となる事例をいくつか紹介しようと思う。